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つれづれなるままに

はまりこむインターネット

 私は、このコーナーで再三、コンピュータやインターネットは単なる道具だと書いてきました。それに使われるのではなく、それを道具として使うのだと。でも、はまってしまう何かがあると感じています。
 インターネットジャンキーなんていう言葉があります。インターネットにどっぷりとはまっている人ということらしいです。ライター田口美帆さんの開設されている「インターネットジャンキー」ホームページhttp://taguchi.net/internetjunky/ は、そんなインターネットにどっぷりつかっている人のことやその対処について書かれてあります。MENUのインターネット・ジャンキーズ(ネット中毒の実態を探るノンフィクション)のコンテンツの中に、ホームページの更新が止められない人の話が載っています。ちょっとこれにはどきっとします。
 個人ホームページ作者の立場の私としては、例えば厚生省のホームページと対等でありたいと思っています。でもそれは妄想というか大きな勘違いです。偉そうなことを書いていても、何様のつもりだと自問自答する時もあります。個人の一趣味が大きな組織に勝てるわけがありません。しかし、個人にしかできないこともあるはずです。組織にとらわれない自由な発想と発言です。
 コンピュータやインターネットにはまり、半ば中毒症状さえあると感じている私ですが、2000年05月27日 土曜日付の朝日新聞夕刊で、田口ランディというネットコラムニストが共感できることを書いてましたので抜粋します。

はまる〜

 「ネットを使って夢を手に入れることはできるが、ネットの中に夢はないんです。ネットに自己投影してはいけないんです。道具にすぎない。ネットの中は、何もないどころか、その空虚みたいなものの中に、自分の満たされない欲求、感情、妄想を入りこませる装置として機能する危険性をもっていますから」

 そうですね。インターネットは道具なんです。距離の遠い近いにかかわらず、お手紙の交換が簡単にできたり、私のように無名の個人が書いたことをみなさんに読んでもらえるのはインターネットのなせる技です。でも、本当に道具としてだけにとどめることはできるのでしょうか?
 もうひとつ、文章を引用しましょうか。

はまる〜

 サイバースペースはよく広場と比較されるけれど、実際の広場に集まる人々は、お互いに生身で、言わば全身でそこに参加しているけれど、サイバースペースの住人は半身で、もっといえば、肉体から切り離された形で存在しているに過ぎない。出入り自由の世界であり、ある日議論が盛り上がったかと思うと、翌日には立ち消えになることもあり得る。(中略)ホームページというメディアの、よくいえば自由闊達、融通無碍、悪くいうと、はかなさ、危うさのようなものは、常に認識しておいた方がいい。
 (矢野直明 著、インターネット術語集 岩波新書 より)

 今の世の中、インターネットがもてはやされて、企業ではそれを抜きにしては話にならなくて、個人でもとても便利な道具だと思います。しかし、インターネットが全てではないということです。インターネットで検索しても、分からないことは山のようにありますし、そこでのコミニュケーションでも、その場限りのものであるのかもしれません。あまり、インターネットの性格を十分に分かって使うということでしょうね。あまりのめり込まずに適当に・・・ってところでしょうか。
 私自身は、インターネットに常時接続の環境になったとはいえ(テレホタイムにそなえなくてもいいからという話もありますが)、最低でも12時に寝るようにしています。夜更かしは体にこたえますから。

(2000/08/26)

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制作・著作: 佐藤賛治

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