
他では聞けないくすりのはなし
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薬の歴史・薬害の歴史〜(4)アンプル入りかぜ薬事故
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アンプル入りかぜ薬とは、解熱鎮痛剤のアミノピリン、スルピリンを主成分としビタミン剤などを加えて水溶液にしたものです。昭和40年(1965)の2月から3月にかけて千葉、静岡、大阪などで、アンプル入りかぜ薬が原因と思われる死亡事故が相次ぎました。数年前から、この時までの死亡者は計38人で、マスコミが連日大々的に取り上げたために、厚生省は製薬企業に対し、販売の自粛通知を出しました。この事故が起こった理由を当時の中央薬事審議会は、「使用者にある種の体質異常がある場合はかぜ薬の成分、服用量が極量以下でも中毒を起こす。アンプル剤は錠剤、粉末に比べて吸収速度が極めて早いため血中濃度が急速に高値に達しその毒性の発現が著しく強い」と説明しています。
当初は、販売の自粛という軽い措置であり、現物が回収された訳ではありませんでした。中には、店にある在庫を販売していた薬局もあり、その結果、ショック死が引き続き起こっていたという事実があります。
この後、厚生省から製薬企業に製品回収要請通知が出され、一斉回収されることになりましたが、特に中小の製薬会社にとっては大きな痛手でした。というのも、当時、アンプル入りかぜ薬は200社で年間数百万本が生産されており、大衆薬メーカーや薬局の稼ぎ頭で、年間の売り上げは推定で約100億円といわれ、中小の専門メーカーによっては、売り上げが扱う製品の半分を占めるところもあり、一斉回収は死活問題となるためです。
とにかく、若干の回収の不徹底はあったものの、すばやい厚生省の対応によって、製薬企業は何十億の損害を出したと言われています。しかし、この直後、厚生省側は製薬企業側に陳謝しており、このことが当時まだ一般には知られていなかったクロロキン網膜症についての厚生省の対応を遅らせることになったとも言われています。

これらの一連の流れを見ていると、どうしても薬を商売するモノとしか見ていなかったということが伺われます。今日であれば、まず第一に健康被害を考えるのでしょうが、その当時はそんな薬の倫理がなかったのです。
(1998/10/16)
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制作・著作:
佐藤賛治 (薬のご質問にはお答えできません)(http://d-inf.org/drug/)